2009年07月04日

東京外国語大学

東京外国語大学(とうきょうがいこくごだいがく、英語: Tokyo University of Foreign Studies)は、東京都府中市朝日町3-11-1に本部を置く日本の国立大学である。1949年に設置された。大学の略称は外語大(がいごだい)や外大、東京外大、東外大などで、英語ではTUFSと呼ばれる。

旧制東京外国語学校を前身とする大学である。東京大学、一橋大学と同じ起源を持ち、また旧大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)とは姉妹校にあたる。

学部は、外国語学部(Faculty of Foreign Studies)のみを設置している。外国語学部には7課程26専攻が設置されている。専攻語に加えて人文・社会科学、さらに自然科学(おもに情報科学)を学ぶことができる。大学院は、教育組織として総合国際学研究科(Graduate School of Global Studies)が設置されており、そこでは博士前期課程(4専攻)と博士後期課程(2専攻)が設置されている。
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世界中の言語が研究・教育されており、多くの語学専門家が所属している国内では唯一の国立外国語大学である。また狭義の語学だけにとらわれず、地域研究にも力点を置き、当該言語圏の政治、経済、社会、文化、習俗などについても教育・研究を行っている日本屈指の外国語・地域研究拠点である。 単科大学でありながら、長きに渡って外交、文学、学界、マスコミ、商社、教育、芸術などの広い分野において、多数の著名人・指導者を輩出し続けている。

2009年06月14日

ソバを主原料とする焼酎発祥は新しく

ソバを主原料とする焼酎。発祥は新しく、1973年、宮崎県五ヶ瀬町の雲海酒造が、山間部での特産品であるソバを原料に取り上げ新たに開発した。以後各地の焼酎メーカーで、米・麦との混和タイプも含めて広く作られるようになった。味わいは麦焼酎より更に軽く、癖が少ない。そば屋においてそばをゆでたそば湯で割ったそば焼酎を提供している事例も多く見られる。ただし、そばアレルギーを持つ人はアレルギー症状が出る可能性があるので注意を要する[29]。

泡盛 [編集]
沖縄県特産の蒸留酒である泡盛は米を原料としており、その製法は一般的な焼酎と差異があるものの、税法上は焼酎乙類の範疇に入れられている[1]。

法制上、泡盛自体は日本全国で製造することができるが、「琉球泡盛」という表示は世界貿易機関のTRIPS協定に基づいて沖縄県産の物のみに認められている。

粕取り焼酎 [編集]
もろみ取り焼酎とは別の製法で、清酒かす(日本酒の酒粕)を蒸留して造られる「粕取り焼酎」と呼ばれる焼酎がある。粕取り焼酎は九州北部を中心に発達し、全国の清酒蔵で製造されている。江戸時代の本草書『本朝食鑑』に、「焼酒は新酒の粕を蒸籠で蒸留して取る」とあるように、清酒が醸造される地域で焼酎といえば粕取り焼酎のことであった。新しくできた酒粕をそのまま蒸留する方法と、籾殻(もみがら)を混ぜて通気性を確保してから蒸留する方法があり、前者は吟醸粕取焼酎、後者を正調粕取焼酎と呼んで区別している[36]。 貯蔵した酒粕を蒸留し早苗饗(さなぶり)という田植え後のお祭りで飲んだことから、別名「早苗響焼酎」とも呼ばれる。蒸留した後の粕は田の肥料として使われていた。
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太平洋戦争後、カストリと混同されたこと、独特の香りが時代の嗜好に合わなかったことなどから需要が低迷し粕取り焼酎の製造から撤退する蔵が相次いだ。また、かつては福岡県内を中心に粕取り焼酎専業の蔵も多くあったが、現在では米焼酎の製造を行うなど、専業蔵は消滅している。しかし、昨今の焼酎ブームにより、日本酒製造メーカーが粕取り焼酎に再び進出するケースが増えている[36]。

梅酒をつける際にベースとなるアルコールやみりんの主原料としても使われた他、日本酒の仕上げ工程において中途で発酵を止め、防腐や辛口に仕上げる目的で用いられる「柱焼酎」として使われる場合も多かった。また、外傷の消毒薬としても用いられた

本来の粕取り焼酎とはまったく別な、粗悪焼酎に対する俗称である。

第二次大戦後の社会混乱期、酒不足の世相の中で粗悪な密造焼酎が出回った[37]。原料・出所がまったく不明、甚だしい例では人体に有毒なメチルアルコールを水で薄めたものまで売られる始末で[37]、これら悪酔い確実な代物が俗に「カストリ」と総称された[37]ため、一般にも「カストリ=粗悪な蒸留酒」というイメージが定着した[37]。その影響で、決して粗悪でない本来の粕取り焼酎まで誤解によってイメージダウンした時期がある[37]。ここから派生した戦後の混乱期を象徴する表現として、「カストリ雑誌」という言葉もあった。

2009年05月29日

断末魔の叫び

本作の特色及びギャグ性を現す要素の一つとして、作中で敵が断末魔に上げる異様な悲鳴が挙げられる。特にハートが遺した断末魔の叫び「ひでぶ」は「あべし」「たわば」とともに『北斗の拳』の代表的な悲鳴である。これらはアニメでは多用されたが、原作では1回しか使用されていない。なお、「ひでぶ」の由来は「ひで=痛て(ハートの「いてぇよお〜!」という台詞)」+体の破裂する音「ぶ」の合成である、と作者の原哲夫が文庫版『北斗の拳』最終巻で解説している。それまでは、手書きのネームの段階では「ひでえ」だったものが、原哲夫が悪筆のために写植の段階で「ひでぶ」と誤植されたという説が有力で、武論尊自身も信じていたようだ。また、レイの有名な「てめえらの血は何色だ?!!」と叫ぶシーンの前のページには「なにわ」という断末魔があり、VOWに紹介されている。
引越し 健康 墓地 生涯学習 冠婚 英会話 交通 バスト 中国四国 ダイエット エージェント バイク 分譲 生活 生活習慣病 ゲーム わきが 美容 教材 動物園 資格 宿泊施設 インプラント 旅行代理店 美容 フランチャイズ タロット わきが 老人 アロマ 墓石 学校 わきが 仏具 検定 旅館 専門学校 北海道東北 理容 就職 フランチャイズ 開業 仏壇 わきが 衣料 アロマ 寝具 プリスクール 地域情報 海外留学 海外


アニメ版においては、千葉繁などのいわゆる「やられ役」要員の番組レギュラー出演者らにより、アフレコ現場で様々な断末魔演技が開発され続け、声優の言葉遊びの中から生じた叫び声もあるほどである。さらに、物語が進むにつれて、とても断末魔とは思えない所までエスカレートした。以下に例を挙げる。

また、千葉が「ちぃ〜ぶわぁ〜!」と自らの名前の断末魔を叫ぼうとしたがNGとなった一方で、渡部猛が演じた牙大王の断末魔「うわぁ〜、た〜、べ〜!」は何故かOKが出たという話もある。しかし、渡部が他のキャラで、また自らの名前の断末魔を叫んだ時にはNGになっている

断末魔の叫び

本作の特色及びギャグ性を現す要素の一つとして、作中で敵が断末魔に上げる異様な悲鳴が挙げられる。特にハートが遺した断末魔の叫び「ひでぶ」は「あべし」「たわば」とともに『北斗の拳』の代表的な悲鳴である。これらはアニメでは多用されたが、原作では1回しか使用されていない。なお、「ひでぶ」の由来は「ひで=痛て(ハートの「いてぇよお〜!」という台詞)」+体の破裂する音「ぶ」の合成である、と作者の原哲夫が文庫版『北斗の拳』最終巻で解説している。それまでは、手書きのネームの段階では「ひでえ」だったものが、原哲夫が悪筆のために写植の段階で「ひでぶ」と誤植されたという説が有力で、武論尊自身も信じていたようだ。また、レイの有名な「てめえらの血は何色だ?!!」と叫ぶシーンの前のページには「なにわ」という断末魔があり、VOWに紹介されている。
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アニメ版においては、千葉繁などのいわゆる「やられ役」要員の番組レギュラー出演者らにより、アフレコ現場で様々な断末魔演技が開発され続け、声優の言葉遊びの中から生じた叫び声もあるほどである。さらに、物語が進むにつれて、とても断末魔とは思えない所までエスカレートした。以下に例を挙げる。

また、千葉が「ちぃ〜ぶわぁ〜!」と自らの名前の断末魔を叫ぼうとしたがNGとなった一方で、渡部猛が演じた牙大王の断末魔「うわぁ〜、た〜、べ〜!」は何故かOKが出たという話もある。しかし、渡部が他のキャラで、また自らの名前の断末魔を叫んだ時にはNGになっている

2009年04月25日

委任統治領

委任統治を担当する国は、受任国という。大戦中に該当地域を占領した国が受任国となっている。また、委任統治が適用される地域は、委任統治領または委任統治地域という。委任統治領は、地域住民の自治能力の程度に応じて、A・B・Cの3段階に分類され、統治の方法が異なる。A式は、住民自治を認め、早期独立を促す地域である。この地域は早期独立を前提としていたので、その住民には受任国とは別の国籍が与えられた。B式・C式にあたる地域は、住民の水準が自治・独立に未だ不十分であるため、受任国の介入が期待される地域である。B式は、宗教その他の面で地域住民の独自性を可能な限り尊重することが要求され、受任国とは別の法制度による統治方法がとられる地域である。C式は、人口が少なく地域の文化が受任国の文化と共通点が多いため、受任国の構成部分として扱うことが許された。B式・C式の地域住民に対しては、国籍は与えられなかった。
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委任統治の監督は、国際連盟理事会の権限であるが、その事務処理を行うための常設の委任統治委員会が設置された。各受任国は、定期的に国際連盟理事会に対し、該当地域の統治に関する報告をする義務がある。

A式
この類型に属するのは、オスマン帝国の支配下にあったシリア地方(シリア州、アレッポ州など)とメソポタミア地方(バグダード州、バスラ州、モスル州)である。

シリア地方は南北に分割され、北部(右下図の1+2)はフランスが、南部(同図の3+4)はイギリスが受任国となった。北部は1920年に「フランス委任統治領シリア」となったが、1926年に比較的キリスト教徒の多い地中海沿岸部の一部を「フランス委任統治領レバノン」として分離した。フランスは双方を直接統治したが、現地住民による民族主義運動は、分割統治を批判すると共に即時独立を求めてフランスの統治に激しく抵抗した。レバノンは、1943年11月22日に独立したため、1944年1月1日をもってこの地区における委任統治は終了した。シリアは、1946年4月17日にフランスの承認を得て完全独立を達成し、委任統治は終了した。

シリアの南部は1920年に「イギリス委任統治領パレスチナ」となった。イギリスは、1921年4月にヨルダン川以東を分離し「イギリス委任統治領トランスヨルダン」を発足させ、アブドゥッラー1世を首長(アミール)に任命して間接統治をすることとした。アブドゥッラー1世はイギリスとの独立交渉を経て、トランスヨルダンが「国」であることをイギリスが承認し、イギリスの権限を外交・軍事・経済政策の監督のみに縮小することが合意され、その結果、1923年5月に「トランスヨルダン首長国」が誕生した。その後、委任統治が正式に終了する1946年5月5日をもって「トランスヨルダン王国」と改称した(ヨルダン参照)。一方、ヨルダン川以西の「パレスチナ」は、イギリスの直接統治下に置かれ、1948年5月14日まで委任統治が継続された。

メソポタミア地方(右図の5)は、イギリスが受任国となり、「イギリス委任統治領イラク」として1920年11月11日に委任統治が開始された。イギリスは、1921年8月に、ファイサル1世をイラク国王に任命し、間接統治を行った。1932年10月3日、この地での委任統治は終了し、「イラク王国」として独立した

2009年04月08日

ハウス (音楽)

ハウス・ミュージック(house music)は、アメリカ合衆国シカゴで1977年に誕生した音楽ジャンルの一つ。日本では略してハウスと呼ばれることが多い。シカゴのゲイ・ディスコ「ウェアハウス」で生まれた。1980年代後半、ハウスの中心地はシカゴからイギリスに移り、その後様々な音楽との混交が行われた。ヒップホップ(hip hop)と併せて、ニュースクール・ミュージック(new school music)と呼ばれる。

ニューヨークの「パラダイス・ガレージ」のDJであったラリー・レヴァンの友人で、自らも有能なDJであったフランキー・ナックルズは、1977年にシカゴに新たにオープンした「ウェアハウス」の主力DJとしてニューヨークから招かれ、彼のDJは独特のミックス手法で高い人気を博したが、そこで彼がプレイしている音楽を地元のレコード店が「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」と称して販売したのがハウスという名称の始まりと言われている。

この時点での「ハウスミュージック」はフィラデルフィア・インターナショナルレーベルやサルソウルレーベルの、いわゆるフィラデルフィア・ソウル(通称フィリーソウル)およびその類似品であった。この成功の後、ナックルズはウェアハウス経営者との衝突からウェアハウスを去り、シカゴの別の場所でパワープラントというクラブを始める。ウェアハウスのオーナーは「ウェアハウス」を「ミュージック・ボックス」と改名し、新たにカリフォルニア州からロン・ハーディーを後任DJとして招聘する。ナックルズとハーディーの間の競争により、シカゴはダンス音楽界の中でその地位を確立する。

彼ら二人のプレイスタイルはレヴァンと彼のプレイしたいわゆる「ガラージュ」と呼ばれるスタイルの強い影響下にありながらも、ドラムマシンの使用やよりアグレッシブな選曲の傾向を持ち、のちにハウス音楽と呼ばれるスタイルの原型を築いた。またシカゴの地元のミュージシャンたちがこのシーンに影響を受けて安価なドラムマシン(当時、音色にリアリティがなかったため人気がなく楽器店で投売りされていたローランド・TR-909)を使用した曲を作曲、それらの曲が上記の上のクラブで流されることにより、大きな影響を持つことになった。

ハウス音楽はドラムマシンを使用して短いフレーズを繰り返すスタイルが確立されてからも、フィリーソウルのスタイルを模したものが非常に多かった。その意味では、少なくとも1980年代までのハウスはソウルミュージックの派生物であったとも言えよう。また、先駆者であるレヴァンや彼の「パラダイス・ガラージ」の客層と同様に、初期のシカゴ・ハウス音楽シーンもDJや客層は黒人のゲイが中心であった。

現在のスタイルが確立された1980年代中期以降、シカゴ・ハウスの隆盛やガラージュ人気の世界的な波及に伴い、世界各地でハウスを主体としたイベントの開催やアーティスト・DJの登場が相次ぎ、徐々に黒人以外の人種層にも浸透していくこととなる。決定打となったのは、1987年にイギリスのアーティストであるM/A/R/R/Sがリリースした『パンプ・アップ・ザ・ヴォリューム(Pump up the Volume )』の世界的なヒット、及び1988年にイギリスで起こったレイブ (音楽)の流行と「セカンド・サマー・オブ・ラブ」である。こうした出来事をきっかけにアシッド・ハウスが流行し、ハウスの中心地はアメリカのシカゴから、欧州のロンドンに移行する。現在も、ハウス音楽の主要な消費地はアメリカ国外のヨーロッパや日本である。ニューヨークなどで製作されるハウスのシングルレコードの7割近くが国外に輸出されているとも言われている。

1990年代に入ってからは音楽ジャンルの細分化が進み拡散していく一方、メジャーのアーティストがハウス音楽の独特のリズム(4つ打ち)を多用するようになるなど、さらに一般化の道を進んだ。現在ではアメリカ、イギリスやイタリアを中心としたヨーロッパやオーストラリア、イスラエル、日本を中心としたアジアなど、世界各地に大規模な支持層が存在する。

日本での受容と発展 [編集]
日本では1989年ごろ、ディスコでハウスをメインにプレイするDJが出現。先駆的な活動を行ったDJとして、1980年に渡米した高橋透、1986年に渡米し、ラリー・レヴァン等とともにパラダイス・ガラージでプレイしたNORI、おなじころ渡米し、デヴィッド・モラレス、フランキー・ナックルズと共にDef Mix Productionsのメンバーとして活動した富家哲(SATOSHI TOMIIE)、1980年にDJ活動を始め、1990年に東京芝浦で開業した大箱クラブGOLDの立ち上げに参加した中村直(NAO NAKAMURA)の名が挙げられる(GOLDには中村のほかにも高橋、NORIらが参加している)。1990年にGOLDが開店して話題となったが、これに続くように都内に続々と同傾向のクラブがオープンした。

ほかに1985年より活動を開始し、1989年に開催されたパーティ「コニーズ・パーティ」のレジデントDJを務めたEMMA、1984年に活動を始め、のちにハード・ハウス、プログレッシブ・ハウス・シーンの中心人物となった木村コウがいる。

1989年、小泉今日子がアルバム「KOIZUMI IN THE HOUSE」を発表した。これはメジャーなポップ・ミュージシャンが日本にハウス・ミュージックを紹介した最初の例といえる。その後1992年頃までに、金沢明子、山本リンダ、谷啓、トニー谷らのハウス・ミックスによる楽曲が続々とリリースされた。こうして、ハウス・ミュージックは日本で広範な認知を得るにいたった。

アメリカでディー・ライトを結成し、1990年に『グルーブ・イズ・イン・ザ・ハート』のヒットを飛ばしたテイ・トウワが、坂本龍一がパーソナリティーをつとめていたNHKのFMラジオ番組「サウンド・ストリート」の愛聴者だったことはよく知られている。

GOLD以降のクラブでは、当時から現在に至るまでに数多くのイベントやパーティが催されているほか、大沢伸一(ハウスの特徴を取り入れた作曲家)や、田中知之(Fantastic Plastic Machine)や、EMMAなどのようなアーティストも多数現れている。またGOLDのレジデントとして日本にハウスを定着させた高橋透と、ハウス第2世代ともいわれるDJMOODMAN、VJの第一人者宇川直宏がオーガナイズするアンダーグラウンドなウェアハウスパーティーGODFATHERは、 1998年から現在に至るまで、東京のアンダーグラウンド・ダンス・シーンを牽引している。

特徴 [編集]
ハウスはソウルやファンク・ディスコのリズムにラテン音楽のリズム(特にピアノやパーカッションのパターン)の融合により誕生し、特徴としては極めて短い同じ音、同じメロディーラインを何度も何度も繰り返す小節が、曲の随所に見られ、聴く者に陶酔感を与えることにある。また殆どがアップテンポなリズムで、BPM(beats per minute;音価の項参照)にしておよそ120前後のテンポをとる。90年代初頭にはダウンテンポの、さらに90年代中頃にはアップテンポなハウスミュージックも誕生し、ダンスミュージックの一形態に止まらない広がりを見せている。

ハウスは、テクノの各ジャンルと音楽の内容や特徴がよく似ていることが多いため、しばしば混同されやすい。テクノの項を参照すればわかるとおりテクノはシカゴハウスから派生したハウスの一種であった。ハウスとテクノ双方がジャンル的に拡散・融合が進んでいることもあってその区別は難しく、現在では分類が不可能なミュージシャンも多数存在する。またジャンル分けの傾向としては、バスドラム間にハイハットが入っていればハウス寄り、無ければテクノ寄りという、アバウトな解釈もある。

ハウスには「4つ打ち」と称される、四分音符で1小節に4つのバスドラム音(キック)が鳴る楽曲構成が基本であるが、ただ、ファンキーな味付けのものなどは、必ずしも4つ打ちではない。 ドラムのパターンの特徴として、2拍目あるいは4拍目の16分音符裏にスネアドラムが入ることである。 これは、1970年代のソウルやファンクのシェイクというリズムから影響を受けたためである。 「4つ打ち」のパターンの基本的構成が心臓の鼓動を想起し、一定のリズムを刻んでいくことに起因する踊りやすさ、陶酔性を発生させている。このような傾向が後述する民族音楽との親和性の高さなどを生んだと言っても過言ではないだろう。 さらにジャンルによっては「ブレイク」と称されるバスドラム音が鳴らない状態、及び無音の状態が幾度かはさまれることが大半で、この傾向はハード・ハウスやそれに影響を受けたジャンルに顕著である。

ハウスミュージックはこの世の中の、ありとあらゆる音源との融合体である。トライバルハウス(民族調)は打楽器(コンガ、ボンゴ等)アフリカ系の楽器、リズムとの融合である。このように、ロック、クラシック、ラテン音楽、ジャズ、レゲエ、昨今では太鼓トラックなる、和をモチーフにした和太鼓との融合も出現している。

付随する音楽ジャンル [編集]
90年代に入って以降、それまでに発生していたジャンルへの回帰傾向や、ジャズや、テクノやトランスへの接近と融合による新ジャンルの発生などが行われた結果、ハウス音楽のジャンルは拡散しつつある。また、ロッテルダムテクノやガバへの接近により生まれたハッピーハードコアなど、非常に早いテンポを基本とするジャンルや、テクノとのクロスオーバーが進んだジャンルも発生した。現在では、ガラージュ(garage )、アシッド・ハウス(acid house)、イタロ・ハウス(italo house)、トライバル・ハウス(tribal house)、ハード・ハウス(hard house)、ディープ・ハウス(deep house)、プログレッシブ・ハウス(Progressive house)等々、多岐にわたる細分化がなされている。特にこのうちでガラージュ(ガラージハウス)については、国によってその意味するところは大きく異なる

タイム ハンド トリニタ テンシル ファクトリー ふたつ星 はなの舞 ブロイラー スペクタ だっと ラマズダ キーバス 後ろゆび ドラッ エンド もくと トップラ ヒップ トルテ ドーパミン ボケ インタ ファミ テレポ ぱらぴーの タリカ ピューレ カピタン セブサー 春一輪 レイガイド ポット レグルス ロビイ 秘密の花園 コバノ リンワキ ソフトサーチ ムチャコジ オルガン ゲッツ スプーン ランタ しゅいろ うしべに パンパ ブザー ロカール ランダム サブアリ

2009年03月24日

名鉄キハ30形気動車

キハ30形気動車(きは30がたきどうしゃ)は、名古屋鉄道(名古屋鉄道)で使用された気動車(レールバス)。

名鉄は、戦前から戦中の企業統合によって愛知県・岐阜県にまたがる広大な路線網を有するようになったが、その中には閑散線区も多く含まれており、さらに戦後のモータリゼーションの発達で利用者もますます減少するようになってきていた。そのため同社では運営費用の削減を図るため、閑散線区に置いては電力供給設備を撤去し、気動車(レールバス)による運行を行おうと考えた。それに伴い1984年から1985年に投入されたのがキハ10形である。その後の1987年には、単軸台車(二軸車)のキハ10形は乗り心地が悪いという理由でボギー台車に取り替えたキハ20形が投入され、さらに1995年にはキハ10形の置き換えを目的にキハ30形も製造導入された。しかし2004年までにこれら閑散線区が全廃されたこともあって、全車が運用を離脱した。

キハ10形
1984年、八百津線において富士重工業製レールバスの試作車『LE?CarII』(同線で試験運転実施)をベースに、電化設備撤去と同時に3両がまず製造投入された。レールバスは過去にも日本国有鉄道(国鉄)・南部縦貫鉄道などで採用されていたが、八百津線で導入されたそれは現在の第三セクター鉄道などで使用されている車両に通ずる物であり、それが全国に先駆けて投入された路線であったため、八百津線は「近代型レールバスの発祥地」とも呼ばれている。

前述の通りボギー台車が既に時代の主流となる中で単軸台車を採用し、「レールバス」というようにバスをベースにした車体、そしてエンジン(日産ディーゼル工業製)を使って製造コストを抑えていた。同時期に近江鉄道で使用が開始されたLE10形と車内仕様はほぼ共通である(出力は近江鉄道のそれのほうが高い)。当初、バックミラー・列車無線アンテナは準備のみで取付けはなされず、実際に取り付けられたのは増備車の製造後となった。

翌年、3両が増備された。このときの増備車両にはバスのそれを使用した冷房装置が取り付けられたため、定員が90人から88人に減少している。

またこの増備に伴って、広見線の明智駅?御嵩駅間(新可児駅?明智駅間では回送運転を兼ねて、八百津線での導入当時から一部列車はレールバスによる運行)でも日中においてはレールバスによる運行を行うようになった。その後、三河線においても使用が開始されている。

しかし単軸車両は乗り心地が悪いことから、1995年にはキハ30形に交代して運用を離脱し廃車となった。そのうち後期増備車の2両は、同じように電化設備を廃止したくりはら田園鉄道に引き取られ、KD10形となったが、2007年4月1日に同線が廃止されたことにより運用を離脱した。

車長:12500mm
車幅:2724mm
車高:3716mm(無線アンテナの高さを含む)
自重:15.7t(増備車は冷房装置を取り付けたため16.4t)
出力:180/2200(ps/rpm)
台車:FU34BD・FU34BT

キハ20形
1987年にキハ10形をボギー台車にして車長を伸ばした構造で、1両が製造された。キハ10形同様、バスの部品を多用した設計となった。その後、三河線末端区間(猿投駅?西中金駅、碧南駅?吉良吉田駅間)区間の電化設備撤去に伴い1990年に4両が増備されている。しかし2001年の八百津線廃止で2両が、2004年の三河線末端区間廃止に伴い残りの3両が運用を離脱し、それぞれミャンマー鉄道省へ譲渡された。

車長:15500mm
車幅:2924mm
車高:3716mm(無線アンテナの高さを含む)
自重:24.5t
出力:250/1900(ps/rpm)
台車:FU34BD・FU34BT

キハ30形
1995年、キハ10形の置き換えを目的に4両が製造された。このうち八百津線への割り当ては、それまでのキハ10形3両から1両減らした2両となり、この結果広見線明智駅?御嵩駅間におけるレールバスの運行はなくなって、電車による運行に回帰した。キハ20形とは異なり、バス部品を流用した軽量構造の車体は老朽化が早いなどの理由で取りやめられ、一般の鉄道車両同様全金属製の軽量構造車となった。これにより大型窓・3扉引き戸(キハ20形は2枚折り戸や側窓にバス部品を流用していた)が採用され、車内も3500系電車に準じた仕様となった。2001年の八百津線廃止に伴い全車が三河線に転じ、2004年には同線末端区間の廃止に伴って廃車となって、キハ20形同様ミャンマー鉄道省へ譲渡された。

車長:16500mm
車幅:2924mm
車高:3965mm(無線アンテナの高さを含む)
自重:26.3t
出力:250/1900(ps/rpm)
台車:FU34JD・FU34JT

ミャンマーに渡った車両 [編集]
ミャンマーに渡った車両は韓国製の中間車と組み、ステップを取りつけた上で運行している。塗色はそのままであり、キハ30形の優先席のシールは剥がされておらず、名鉄のCIも消されていない。なお、キハ30形は車齢10年程度のため、現地では新車だと思われている。また余談だが、その後に日本の他の第三セクター鉄道から譲渡された車両は名鉄の車両に準じた塗色に塗り替えられている。

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2009年03月09日

恐怖の谷

恐怖の谷 (The Valley of Fear、1915年)は、アーサー・コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズの作品の一つである。「ストランド・マガジン」1914年9月号?1915年5月号初出。

二部構成となっており、第一部で事件の概要と解決に至るまでのホームズの推理を、第二部で事件の背景となった「恐怖の谷」と呼ばれるアメリカの炭鉱街・ペンシルバニア州バーミッサ峡谷での事件を記している。邦訳版では一部と二部の掲載順が逆になっているものもある。
シャーロック・ホームズの終生のライバルとされる、ジェームズ・モリアーティ教授が事件の黒幕にいるとされる。
粉雪 きくらげ せつごう ラックタイ ドンパ クーラント リコピ サイクル チャドル ドライブス ダウWEB ブイゾーン プレ ドライ ネック ヒーリング ビーチ プードル ルレット スクレ ジーディ ペチュニア イーゼル アブラカ センター ゆり根 アカシジミ クール プロシー キッコ スリー ラケナリ さびいろ しのだけ ハイ ブレー セリーグ タブロー オクラ ナビスト てくぼ ファンネル バイド 光の街 ジャロ ユーロ イギリス ストーリ 気合だ メンズリブ

この事件は1月7日に始まっているが、冒頭の目の前の朝食に手をつけようともしなかったとの描写は、前日の1月6日がホームズの誕生日で、徹夜でお祝いをしたのではないかとする説が有力である。

ホームズはポーロックなる男から数字が羅列された暗号文を受け取り、その解読に当たる。そこに書かれていたのはバールストン館のダグラスという男に危険が差し迫っているという内容で、ホームズとワトスンが現場に到着したところ、既にダグラスは死体で発見されていた。

ダグラスはバールストンにある自分の屋敷の書斎で、銃身を切り落として短くした散弾銃によって至近距離から頭を撃ち抜かれていた。散弾銃と金槌、窓敷居の上の血の付いた幅の広い靴跡、そして片方しかない鉄亜鈴などが残されていた。バールストンの屋敷には堀があり、夜中は堀を渡る橋を上げてしまうため、犯人は堀を泳いで逃げたとしか考えられないのだが、屋敷の周囲でずぶ濡れになった人間は見つからなかったという。

ホームズは、事件の第一発見者であるバーカー氏と、ダグラス夫人が共謀して嘘をついているとワトスンに話す。ホームズはワトスンのこうもり傘を借りて屋敷に戻り、何かの調査を開始した。

年代について
正典中、この事件が起こった時代は1880年代の終わりであると記されている。ところが第一部の終わりで「20年ほど前の話」として語られるアメリカでの出来事は1875年に起こった事となっており、矛盾が生じている。

事件が起こった時期を本編に記されている通り素直に1890年代終わりと考える研究者も多いが、この場合既に1891年に死んでいるモリアーティ教授が黒幕であるという事実と矛盾してしまう。またワトスンはモリアーティについて、本作では聞いた事が有るとしているが、1891年が舞台の『最後の事件』ではそれまで知らなかったとしている。 この錯誤はコナン・ドイルが1893年に『最後の事件』を書き、本作を1915年に書いた為に起きたのだと考えられる。

ジョン・ダグラスの「1875年のアメリカの事件」という供述を間違いとし、モリアーティの死亡年の方を基準とすれば、アメリカでの出来事が1875年ではなく1860年代の頃であるという解釈も可能になる。ただしこの時期のアメリカは南北戦争のさなかである為、描写に幾つかの矛盾が生じる。

もう一つの解釈は「20年ほど前」の基準を、ワトスンがこの事件について記述した時点とすることである。『恐怖の谷』の事件が起こったのは1880年代終わり、出版は1915年であるが、原稿はその間の1895年頃に作られたとする考え方である。

備考
『緋色の研究』や『四つの署名』と同じく二部構成を取っているが、事件の遠因を語った第二部部分も独立した推理小説として読める作りになっている。また第一部、第二部とも人間入れ替わりトリックが鍵になる。こうした構成の妙などから、ホームズ長編の最高作に推すミステリファンも少なくない。他方、「署名」の様な異国情緒、『バスカヴィル家の犬』の怪奇色や紀行文学の要素を期待する読者からは概して辛い評価を与えられる事になる。
「バールストン・トリック」というミステリ用語が本作から生まれた。
バーミッサを牛耳っていたならず者集団「スコウラーズ」とボスの州議員ジャック・マギンティは、ペンシルバニア州ポッツヴィルに実在したアイルランド系グループ「モリー・マクガイアズ」とドーマー委員長をモデルにしており(全く同一の町を基にした小説「ポップ1280」がアメリカで執筆されている)、第二部で語られる探偵、ジャック・マクマードことバーディ・エドワーズが介入する事件も史実。実際にはストーリーにある「ニューヨーク中央探偵局」ではなく、ピンカートン探偵社のジェームズ・マクパーランが動いた。

2009年02月20日

戦艦、巡航艦(巡洋艦)、駆逐艦、宇宙母艦(航空母艦)

戦艦、巡航艦(巡洋艦)、駆逐艦、宇宙母艦(航空母艦)といった分類は、第一次世界大戦〜第二次世界大戦の頃の水上艦艇の分類をほぼ踏襲している。宇宙歴時代の宇宙艦艇の分類が、地球上でごく一時期に過ぎないこの時期の分類を踏襲している理由は、作中では一切示されていない(ただし他の多くのSF作品の宇宙艦艇の分類にも共通する普遍的なものであり、銀河英雄伝説だけの特徴ではない。SF・スペースオペラというジャンルの作品が生まれた当時における水上艦艇の分類が、そのまま宇宙艦艇の分類として拝借されており、水上艦艇の分類が変化した20世紀後半以降においても、それが踏襲されている)。
カツサン オーダー メルトン キートーン 市田柿 オーララ ミルク 総合山風 スズラン レングス もくず フリル ジスト カッター チュニジ 紅の空 ピンプリ 凪笛 蜃気楼 除の鐘 パトロール オーバー リンター ダイア ヒプノ フィート ズーム ミニコミ 総合大河 マシン トッシュ テトラード フラワー シーエス ラカイト フシグロ トラッ オパール ネービー リスク ザーボード ボエポン ダイジ マター スケール セクト アスン アサイン チューン アース

現実の個々の艦種がそれぞれどのような性格の艦であるかは個別の記事を参照のこと。

銀河英雄伝説で特徴的なのは、他作品の多くが「宇宙空母」「宇宙巡洋艦」「宇宙戦闘機」と称しているものを、「宇宙母艦」「宇宙巡航艦」「宇宙戦闘艇」と変えている点である。

銀河帝国と自由惑星同盟の宇宙艦艇の違いは、前者は大気圏突入・離脱能力を備えているのに対し、後者は備えておらずシャトルで連絡するという点である。銀河帝国の艦艇が大気圏突入能力を備えているのは、叛乱鎮圧の用途として用いられる場合が多いからと説明されているが、艦艇の構造や採用技術の差異については不明である。帝国・同盟両者ともガス状惑星(木星型惑星)への大気圏突入・離脱能力は備えている事から、エンジン出力の問題ではない事は確かである(木星型惑星のほうが地球型惑星よりも重力は大きく、大気圏離脱はエンジン出力的にはより困難なはずである。また同盟艦艇のエンジン出力が帝国艦艇に比べて劣るのであれば、ライガール・トリプラ両星域の会戦において同盟側は圧倒的不利になったはずであるが、そのような描写は無い)。これらの事柄については、アニメ第47話「自由の宇宙を求めて」においてユリアンとマリネスクが軌道エレベーター内で交わした会話や、アニメにおいて同盟の造兵廠が大気の無い小惑星にのみ存在していたこと等がヒントにはなるだろう。

旗艦級戦艦
全長800m〜1,100m程度。多数の砲・ミサイルに加え、戦闘艇を30機程度搭載できる。下記に艦名をあげた中で、説明のないものはすべてこれである。大半の性能が最高レベルで、同一設計の艦が他に存在しないものが多い(同型艦という設定であっても、兵装などが艦ごとにかなり異なっている)。外形的にも標準型戦艦と巡航艦よりも、旗艦級戦艦と標準型戦艦のほうが差異が大きく、別種の艦である。ユリシーズをヤンが旗艦として乗り込んだこともあり、同盟軍で旗艦的性能面(情報設備、司令部用設備)で異なっていない可能性もある。一方、トリグラフ(アッテンボローの旗艦)は最新で確かに旗艦用のイメージはある。小説の説明によると、帝国軍の場合、大将に昇進すると、個人の旗艦を持つことが許され、所有権は国家にあるが、本人が戦死したり、退役したり、大逆罪などで階級を剥奪されたり、本人が旗艦の変更を申し出ない限り、本人の了承なしに取り上げることは出来ない。一方、同盟軍の場合に関しては、明確な基準が示されていない。「艦隊司令官は中将をもってその任に宛てる」とされているように、少なくとも、艦隊を指揮する中将以上には専用の旗艦級戦艦が与えられるようである。だが、第13艦隊編成時のヤン少将や、イゼルローン要塞駐留艦隊の諸提督(フィッシャー、アッテンボロー、グエン)、ランテマリオ会戦におけるマリネッティ准将など、中将以下でも旗艦級戦艦に座乗している提督も数多くいることから考えて、准将以上で艦隊・分艦隊の指揮を執る提督には、旗艦級戦艦が与えられる場合も多いのかもしれない。
標準型戦艦
全長650m程度。攻撃力・防御力共に高い、艦隊戦の主役。分艦隊や小規模艦隊の旗艦に使用される場合、外見が大きく異なることもある。
ほとんどすべての設定資料で接頭に「標準」と付いてくるのは標準戦艦だけであるが、アニメ化に際し帝国同盟双方とも量産用艦艇は戦艦が最初にデザインされたことが影響している。巡航艦以下は「標準からサイズダウン / アップしてゆく」方法でデザインされた。
高速戦艦
標準型戦艦とほぼ同サイズであるが、機関が大型化されており、より高速を誇る艦。アニメでは帝国軍のみだが(小説では高速戦艦という分類はない)、ゲームでは同盟軍にも存在する。黒色槍騎兵艦隊に所属する戦艦は、全て高速戦艦に統一されており、旗艦・王虎(後述)も、高速戦艦をサイズアップしている。
宇宙母艦(空母)
帝国同盟共に巨艦で建造数は少ない。帝国軍の空母はアニメ第2期からの登場で、ヴィルヘルミナ級(旧式化した旗艦級)戦艦に格納庫ブロックを増設した形状。ワルキューレ搭載空母と雷撃艇搭載空母があるが、雷撃艇母艦にある側面ハッチ以外に外見上の相違点は無く、区別が難しい。
同盟軍の空母「ラザルス級」は100機ものスパルタニアンを露天繋止し、操縦席部分のみを与圧区画に収納する形になっている。このため全艦載機を迅速に発艦させる事が出来るが、奇襲を受けると簡単に誘爆してしまう(アスターテ会戦における第4艦隊)。
両軍ともほぼ全ての戦艦や巡航艦に戦闘艇を搭載(同盟軍の標準型戦艦は9機、巡航艦は3機のスパルタニアンを、帝国軍の戦艦は12機、高速戦艦および巡航艦は6機、駆逐艦は2機のワルキューレを搭載可能)し、航空戦艦としての機能を与えている。
巡航艦、ミサイル艦
両軍共にこの艦種がもっとも数が多く、主力である。能力的にも運用的にも、現実世界における「巡洋艦」に相当する。帝国の巡航艦は同盟よりいくらか大きい。同盟軍のミサイル艦は、巡航艦の兵装ユニットを交換・追加したものである。第8次イゼルローン攻略戦では「ブレーメン級軽巡航艦」という艦種が登場するが、アニメ版では特に重巡航艦・軽巡航艦の描き分けはしていない。同盟のレダIIが特殊な艦形をしている以外はほぼ単一艦種の量産品。シヴァ星域会戦でのイゼルローン軍は乗員52名で鑑を運用、乗員たちが乗員不足だという不満を漏らすシーンが見受けられる。
駆逐艦
全長200mほど。防御が弱いかわりに機動性が優れている。建造数は多いが、アニメでの描写は少ない。哨戒や警備任務での登場が目立つ。帝国軍の駆逐艦は重武装で艦載機も搭載しており比較的活躍の場が多いのに対し、同盟軍の駆逐艦は正しく巡航艦の小型版という能力・艦容であり艦載機も搭載しておらず、ほとんどスポットライトが当たらない。
工作艦
アニメでは「工作艦」として帝国・同盟ともに2種類の形式が存在する。一つは戦場で傷ついた艦を修理するための「ドック艦」であり、もう一つは陸戦における工兵の役割を担う「作業艦」と言うべきものである。前者は帝国軍のものはH型、同盟軍のものは馬具の鞍状であり、それぞれ凹んだ場所に艦を挟み修理を行う描写がある。後者は中央船体を軸として作業施設が付属した、竹とんぼや植物といった趣を持つ。同盟軍ではバーミリオン会戦で同盟軍工作艦がその能力を生かして小惑星を牽引して囮となり、その後小惑星を敵艦隊に向けて放出し打撃を与えたことなど、戦術的な打撃効果を狙った運用もなされた。帝国軍では指向性ゼッフル粒子を散布する為の作業を行う艦としての描写がある。
輸送艦
輸送艦と補給艦を併せた役割を担う。同盟の輸送艦は旗艦級戦艦よりも遥かに大きい。武装は皆無に等しい。
従軍病院船
設定のみ。同盟軍は輸送艦と共通の船体を使用し、帝国軍も2,000m級の大型船。敵味方を越えた共通のマーク(ヘルメスの杖のようなデザイン)が描かれている。アニメでは病院船付属の小型艇が登場した。非武装。
強襲揚陸艦
帝国軍の揚陸艇は細長い棒状で、単独でのワープ能力を持たず、揚陸艇母艦(巨大な揚陸艇のような外観)によって戦場まで輸送される、言わば上陸用舟艇であるのに対し、同盟軍の揚陸艦は帝国軍のものより大きく、単独でのワープが可能で防御力も高い。薔薇の騎士連隊(ローゼンリッター)はしばしばこの艦で敵艦に接舷して斬り込み突入するという、さながら帆船時代の海賊のような戦法を取り、艦にはそのための電磁石・ヒートドリルを備えている。
強行偵察艦
帝国軍のみ。同盟軍の同種艦はバグダッシュが使用していた特務通報艦が最後の1隻で、通常は強行偵察型スパルタニアンを用いる。
雷撃艇、宙雷艇
アニメ版で画像化されたのは帝国側のみ。軽快な動きで敵艦隊に突入する小型艦艇。機首に24門ものレールガンが装備されており、高い火力を持つ。ワープ機能は無く母艦に収容することから、艦載艇のジャンルになる。アニメ版ではワルキューレやスパルタニアンが戦闘機と攻撃機の双方の能力を兼ねている為、出番が少ない。また、PCゲーム版「I・II」では駆逐艦にカテゴリーされていた。イゼルローン攻略戦では、大型爆弾を搭載した爆撃型も登場した。駆逐艦よりも小型で装甲も薄く、また戦闘機よりも機動性に欠ける事から、スパルタニアンに容易く撃墜される描写も観られる。メルカッツが本艦種を活用した近接戦闘を展開して大きな戦果を挙げている。
単座式戦闘艇
帝国側のものはワルキューレ、同盟側のものはスパルタニアンと呼ばれる。機動力が高く小回りが利く為、接近戦で威力を発揮する。戦闘艇どうしの戦闘も対艦攻撃も一機種でこなし、敵戦闘艇を排除して制宙権を確保することを主務とする戦闘機や、対艦攻撃を任務とする攻撃機などといった専用の戦闘艇は存在しない。アニメの設定では、武装においてもレーザー砲のみで、戦闘艇どうしの格闘戦も対艦攻撃も同じ武器で行う。そのため超至近距離からレーザーを使い敵艦を「斬る」描写が見られる(防御磁場の内側にまで侵入したことで光学兵器が有効になっている)。その一方敵味方の距離が離れた状況で出撃すると艦砲射撃の餌食になりやすい。劇中、発進させるタイミングを誤って(早過ぎて艦砲射撃にやられたり、遅すぎて発艦前に母艦もろとも撃破されたりして)破壊される描写が度々登場する。
砲艦(ガン・シップ)
この種類の艦は原作にたった一度だけ、第13艦隊に所属する艦としてアムリッツァ星域会戦に登場する。大型艦を盾としてその隙間から帝国艦隊に対して砲撃を加えた(アニメ版では巡航艦と駆逐艦が砲撃を行っている)。小型ながら強力な砲を持った艦として描写されている。
外伝『螺旋迷宮』では第二次ティアマト会戦当時の艦船が登場するが、本編時代のものより一回り小さく、デザインも異なる。

2009年02月04日

尾張林氏

定説では河野氏一族の河野通広が美濃国に定着したというが疑わしい。実際は稲葉氏の一族であり、稲葉通村の代に、姓を「林」と改めたという。
戦国時代に織田信長に重臣として仕えた林秀貞が有名。しかし秀貞は1580年に追放されてしまい、林氏は没落した。子孫は藩士となって尾張藩に仕えた。
子孫については、その後九州の黒田藩(現在の福岡県福岡市)に仕え、そこで家老の職に就いていたとのこと。
また、美濃国の稲葉氏とは同族で、林政秀の子の正成が稲葉重通の養子となり、稲葉正成として稲葉氏家督を継ぐなどの密接な関係が見られる。
林通政の弟の林通起の子孫の林十蔵が伊藤博文の父であると言われている。
スチック プロパ セッター スロープ サブセ ソンソ キラウエ くるくる デイユース ニクロム ルーガル ドードー トリコロ マリン ハイチ キュー ナビユー ワンダラー カバレ ファイト さやえん カスミソウ グラフ ラードツ リング シンプル パイロー サイン ワーク ワイヤ スペルラ ファイラー スペアイト ナビドウ クトリン スープ ドット スイート 弥生姫 クレド タフネス ダーク フレーバ アッラー フロー リキッド クチュリ フォア ザンス ファイブ

主要武将
林秀貞
林通具(林美作守)
林通政(林駿河守)

系図
(稲葉通広)
  ┃
(二代略)
  ┃
 林通村
  ┣━━━━━┓
 通安    通忠 
  ┣━━┓  ┣━━━━━━━┓ 
 秀貞 通具 通政(駿河守) 通起(淡路守)
  ┃     ┃
 通政    政秀 稲葉重通
        ┃┌──┘
       稲葉正成

三河林氏
甲斐源氏・小笠原氏の傍系であり、松平親氏の頃より松平氏(徳川氏)に仕えたとされる譜代家臣。

江戸時代後期までは代々旗本であったが文政8年(1825年)、林忠英の代に貝淵藩1万石の大名に列せられ、子の忠旭の代に陣屋を移し請西藩となる。

幕末、請西藩第3代(通算で4代目)忠崇は藩主であるにも関わらず自ら「脱藩大名」となり旧幕府軍として戊辰戦争に参戦、その責任を取られ請西藩は明治元年(1868年)に明治新政府により取り潰しとなった。しかし、明治26年(1893年)に赦され忠崇は無爵華族に、嫡男忠弘は男爵に叙されている。なお、林忠崇は昭和16年(1941年)まで存命しており、「最後の大名」とも呼ばれた。

加賀林氏
藤原利仁の子である藤原叙用(斉藤叙用)の流れを組む斎藤氏の傍系。富樫氏とは同族である。

林家
林家は京都の町人林信時の子の出身である林羅山(本名:林信勝)を祖とする朱子学派儒学者一門。「りんけ」と呼び習わされてはいるが、名字は「はやし」である。

羅山以降一族は江戸幕府に儒官として仕え、3代林鳳岡からは代々大学頭を世襲した。しかし7代林信敬には嗣子がなく、岩村藩主松平乗薀の子の松平乗衡が養子となり8代林述斎として林大学頭を継いだ。

河野氏(こうのし / かわのし)は、守護大名、戦国大名となった伊予国(愛媛県)における有力豪族で、越智氏の流れを汲むという。

室町時代以降は代々湯築城を居城としてきた。一族の来歴を記した文書「予章記」はその虚実入り交じった不思議な内容(鉄人伝説など)で有名である。

他に2系統が存在する。

三好義長を遠祖とする、芥川長明の子、芥川季範が河野氏を称する。
桓武平氏良文流河越氏の流れを汲む河越重家が子孫が河野氏を称する。

河野氏は河野郷(現在の松山市北条付近)を出自とする。当初は国衙の役人として活動していたと考えられているが、源平合戦で源氏に味方したことで鎌倉幕府の御家人となり西国の部将でありながら大きな力をつけた。その後、室町期に道後に湯築城を築き本拠を移した。根拠地の伊予が地政学的にも周辺諸国からの介入を受けやすい位置にあったこともあり内乱を繰り返すこととなった。その結果勢力を削ぐこととなり、戦国大名として変移できなかった典型的地方豪族といえる。河野宗家は、代々湯築城を拠点としていたが、河野水軍の本拠地は松山市三津、港山の一帯であった。この地理的な距離が宗家と分家(水軍衆)との亀裂を生んでいたとも思われる。なお河野氏の菩提寺は旧北条市の善応寺である。湯築城へ移転するまでは、善応寺の双子山城を本丸として支城に恵良山城、鹿島城、大山寺城、高縄山城などを有していた。

一時河野家の兵力は、瀬戸内最大規模の水軍となり、河野水軍とも呼ばれた。これは、道前平野での稲作による豊富な食料確保が可能であったからであり、島嶼部に拠点を置いた他の水軍との大きな相違点でもある。有名な村上水軍は、形式的には河野氏の配下であるが、独自での活動も活発であり必ずしも従属関係にあったわけではない。伊予の水軍は大三島の大山祇神社を崇拝し、祀りを執り行うことが習いであった。

平安・鎌倉時代
平安時代の末期は、平清盛率いる伊勢平氏の傘下にあったが、その後、源平合戦においては河野通信が河内源氏の流れを汲む源頼朝に協力して西国の伊勢平氏勢力と戦った。鎌倉時代になり承久の乱のとき、反幕府側の後鳥羽上皇に味方したために一時的に衰退したが、元寇のときに勇将・河野通有が活躍してその武名を馳せ(河野の後築地・"うしろついじ"として有名である)、河野氏の最盛期を築き上げた。

南北朝・室町時代
南北朝時代には、四国へ進出し伊予へ侵攻した細川氏と争う。河野通盛は足利尊氏に従い伊予守護職を手にしたが、河野通朝は細川頼春の侵攻を受け世田山城で討ち死にした。子の通尭は九州に逃れ、南朝勢力であった懐良親王に従い伊予奪還を伺う。幕府管領となった細川頼之が1379年の康暦の政変で失脚すると、河野氏は南朝から幕府に帰服し、頼之追討令を受けて細川方と戦う。その後頼之が幕府に赦免されると、1386年には3代将軍足利義満の仲介で河野氏は細川氏と和睦する。

室町時代には度重なる細川氏の侵攻や予州家との内紛、有力国人の反乱に悩まされた。河野通久の時代に、河野通之の子通元の予州家との間に家督相続争いが起こった。この争いはその後も続き、管領職が代わる事に幕府の対応が変わるなど情勢が混迷を極めた。本家河野教通と予州家の河野通春の争いは瀬戸内を挟んだ細川氏、大内氏を巻き込んだものとなったが、応仁の乱のさなか、本家の教通が伊予守護職を確保し、通春没後に予州家は没落した。

戦国時代・安土桃山時代
戦国時代に入ると、予州家との抗争は終息したものの、有力国人の反乱や河野氏内部での家督争いが相次いで起こり、その国内支配を強固なものとすることはできなかった。16世紀前半の河野氏宗家の当主・河野通直(弾正少弼)のとき、家臣団や有力部将来島通康を巻き込む形で子の河野晴通と家督をめぐって争いが起こる。この争いは晴通の死で収束したが、これにより河野氏はさらに衰退してゆくことになる。結果的に、来島村上氏や平岡氏、能島村上氏といった新たに台頭した有力国人勢力に政権運営を強く依存する形となり、末期には軍事的にも毛利氏の支援に支えられるなど、強力な戦国大名への脱皮は叶わなかった。

国内には喜多郡の宇都宮豊綱、大野直之、宇和郡の西園寺氏らの河野氏に属さない勢力が存在し、また、土佐の一条氏、豊後の大友氏、讃岐の三好氏との間に争いが続くが、同盟、縁戚関係を築いた安芸の毛利氏の支援を強く受けることとなった。その後も、長宗我部氏の侵攻や1581年の来島通総の離反など苦難は続いた。1585年、豊臣秀吉の四国征伐において、通直(伊予守)も小早川隆景の説得を受けて降伏し、通直は大名としての道を絶たれ、新たな伊予支配者となった小早川隆景の元に庇護された。そして1587年、通直が竹原で嗣子無くして没したため、大名としての河野氏は57代をもって滅亡した。

河野氏遺臣の再興のための戦い
1600年には関ヶ原の戦いに呼応して、安芸の毛利、村上勢(村上掃部頭元吉(村上武吉の長子)軍団)と、四国に残留した平岡勢が協同して、慶長5年8月28日に加藤嘉明の居城正木城に軍勢およそ二千余騎で攻め寄せるが、守将佃十成の計略にはまり、上陸地点である三津で夜襲を受け、完全に撃破されてしまった。これを「刈屋口の戦い」または「竹原崩れ」という。この後も荏原城などで残党が篭城するが、関ヶ原の戦いはすでに東軍勝利で終わったため、完全に駆逐されていった。

河野氏主要名簿
河野玉澄(越智守興落胤)
河野益男
河野真勝
河野深躬
河野息村
河野息利
河野息方
河野好方
河野好峯
河野安国
河野安躬
河野元興
河野元家
河野家時
河野為世
河野為時
河野時孝
河野為綱
河野親孝
河野親経
河野親清(三島四郎)
河野通清
河野通信
河野通久
河野通継
河野通有
河野通盛(通治)
河野通朝
河野通堯(通直)
河野通義
河野通之
河野通久
河野教通(通直)
河野通春
河野通宣(刑部大輔)
河野通直(弾正少弼)
河野晴通
河野通宣(左京大夫)
河野通直(伊予守)
一遍

系図
    ┃
    通信
    ┣━━━┓
    通久 別府通広
    ┃   ┃
    通継  一遍
    ┃
    通有
    ┃
    通盛
    ┃
    通朝
    ┃
    通堯
    ┣━━━┓ 
    通義  通之
    ┃   ┃
    通久  通元
┏━━━┫   ┃
通生  教通  通春
┃   ┃   ┃
明生  通宣  通篤
┃   ┃   ┃
通吉  通直  通存
┃   ?   ┣━━━┓
通直  通宣  晴通  通宣
    ? 
    通直
晴通、通宣(左京大夫)については通直(弾正正弼)の実子と言う説有
通直(伊予守)のについては来島氏からの養子とする説もある。

庶家
松末氏
野島氏
別府氏
久保氏
嬉野氏
土居氏
得能氏
三島氏
高井氏
遠藤氏
甲曾氏 - (中川氏)
北条氏
林氏 - 伊藤博文が河野通有の末裔と自称
一柳氏
伊予橘氏
宇津宮氏
久枝氏

河野氏主要家臣団(戦国期)
来島通康
来島通総
村上武吉
平岡房実
平岡通資
平岡直房
平岡通倚
忽那通著
大野直昌

河野諸氏末裔
秋山好古
秋山真之
正岡子規[要出典]
馬越恭平
河野淳吾(Jリーガー)
河野直人(Jリーガー)
大石尚子(衆議院議員)